ニッチなインターネットの悪夢が主流映画へと変わりつつある

Backroomsは、インターネットでおなじみの経路から生まれた。つまり、不穏な一枚の画像、共同で形づくられる神話、そして他の人にはただの空気感にしか見えないものに物語の可能性を見いだしたクリエイターだ。いま、そのアイデアは大きな節目を越えた。10代の頃にモキュメンタリー風のYouTube短編で注目を集めたKane Parsonsは、A24とともにBackroomsを大スクリーンへ送り出そうとしている。提供された報道によれば、これは同スタジオで最年少クラスの監督主導長編デビュー作になるという。

この移行が重要なのは、Backroomsが単なるもう一つの翻案ではないからだ。ネット発のフォークロアが、最初に人々を惹きつけたあの曖昧さを失わないまま、映画作品へと成熟していく過程を示すケーススタディなのである。

ミーム的構造から映画制作へ

Backroomsの元になった概念は4chanの投稿から始まり、そこから各ソーシャルプラットフォーム上のユーザーによる派生作品を通じて広がっていった。Parsonsの2022年の短編「The Backrooms (Found Footage)」は、その神話に映画的な形を与え、すぐに大きな観客を獲得した。提供された報道によると、Parsonsはこの概念がハリウッドに通用することを証明しようとして作ったわけではない。十分に掘り下げられていないと感じたから制作したのだという。

その直感こそがBackroomsの魅力の核心だ。舞台は単に設定の密度だけで動いているのではない。空っぽの廊下、蛍光灯のうなり、反復、そして空間の論理が壊れてしまったような感覚。その空気感で成り立っている。Parsonsの成功は、それらをミーム以上に大きく見せつつ、同時にあの不気味な曖昧さを保った映像表現へと翻訳したことにある。

この翻案が文化的に興味深い理由

インターネットは絶えず神話を生み出しているが、従来の映画制作へ飛び移れるものはごくわずかだ。内輪向けすぎるもの、コミュニティ参加への依存が強すぎるもの、長編を支えるには拡散しすぎているものも多い。Backroomsが違って見えるのは、その中心となるイメージ言語が直感的に読み取れるからだ。投稿の経緯を知らなくても、延々と続く、病的な光に照らされた迷宮の恐怖は理解できる。

それは非常に翻案しやすいことを意味する。ネット文化に固有のフォークロアでありながら、古い形式の娯楽へも翻訳できる例だ。その意味で、この映画は単にオンライン人気を回収しているだけではない。分散化されたインターネットの想像力が、説明しすぎによって崩壊することなく主流映画の原材料になり得るのかを試している。

Parsonsの台頭はプラットフォーム時代を示している

提供された報道は、Parsonsのキャリアがいかに速く加速したかを指摘している。彼がバイラルシリーズを作ったのは16歳のときで、今ではChiwetel EjioforとRenate Reinsve主演の長編を監督している。以前のスタジオ制作の流れでは、こうした軌跡は想像しにくかっただろう。映画人が長編予算を得る前に、公開の場でコンセプトの証明、観客、そして美学的アイデンティティを築けるメディア環境を反映している。

また、何が「名刺代わり」になるのかも変わったことを示している。短尺のオンライン作品は、もはや映画文化の周縁ではない。場合によっては、オーディションであり、試作品であり、フランチャイズの種でもある。

説明しすぎるリスク

Backroomsの力は、ずっと示唆に支えられてきた。神話が明確になればなるほど、あの不穏さを失う危険が増す。これは断片的なインターネットホラーを原作とする長編映画なら誰もが直面する難題だ。広げ方が足りなければ薄く見え、説明しすぎれば神話は平凡なものへと固まってしまう。

Parsonsは最初からこの形式の進化に関わってきたため、その緊張関係を扱ううえで特に有利な立場にいるのかもしれない。彼はこの素材を、単なるIP保有者としてではなく、開かれた論理に形作られてきた創作者として理解している。

この映画が象徴するもの

映画が芸術的に成功するかどうかは、出自ではなく実行次第だ。だが、その存在自体がすでに注目すべき文化変化を示している。A24は、インターネット生まれのホラーミスに基づく長編を支援しており、その監督はその現代的な形を形づくった若いクリエイターだ。これは、スタジオが今どこで物語のエネルギーを探しているのか、そして観客がどこまでついていく準備ができているのかを物語っている。

Backroomsはもはや単なるウェブ上の協働的な不気味さではない。正式な映画の流れの一部になりつつある。デジタル文化にとって、これこそが本当の節目だ。ミーム時代の神話が、別の何かに変わる必要もなく映画へと渡っていくのである。

この記事はWiredの報道に基づいています。元記事を読む

Originally published on wired.com